基本的には、もちろん変な言い方です。“after ○○”=“○○の後で”ですから、“コーヒーの後で”になってしまいます。アフタースクールは放課後です。アフター・ザ・フェスティバルは後の祭りではなく祭りの後にです。
ただし物事、特に言語表現には例外がちょくちょくあるもの。たとえばアフターケアのように、“アフター××”を“後の××”という意味で使うこともあります。なら、後の祭りもありか。ただし、後の祭りではなく後の祭りだけどね。
とは言え、定着した例外的な言い方をのぞいて、アフターはやっぱり普通“○○の後で”という意味に響きます。“アフターコーヒー”という言い方には違和感を感じます。もしこのおかしな言い方が英米などでも使われていたらびっくりしますよ。スターバックスで売っている(という)“アフターコーヒーミント”という商品も、コーヒーを飲んだ後の食品というのを意図したものでしょ?
まあ、この手のことを書く際にいつも思うのですが、単に「おかしいよ」って指摘だけでは芸がないですよね。そこで、もうちょっといろいろ考えてみましょう。もしも、本来の(普通の)意味でアフターコーヒーという表現を使っていたとしたら、です。
店員「100円でアフターコーヒーがつきますが、いかがなさいますか?」
“…… after coffee”の“……”を(わかり切っているから、あるいは言わぬが花だから)省略したってイメージですね。つまり
店員「100円でコーヒーの後に……ですが、いかがなさいますか?」
コーヒーを飲んだ後に、100円で何が起こるのでしょうかね? 店員さんが好みのタイプの異性だったら、思わずドキッとするシチュエーションです。
客「いっ、いけません。私には妻も子も……。」
いや、私には妻も子もいませんけどね。したがって、心の弱いときにこんな声をかけられたら、ホイホイついていってしまいそうです。その結果、変なセミナーに参加させられ、変な絵や壺を買わされて、全財産を搾り取られてしまうことに……。気をつけないと。
こう言うのを、世間ではよく“妄想”と言いますが、そろそろ人格を疑われそうなのでこの“妄想”はやめにしておきます。
話は変わりますが、私、この妄想という言葉が嫌いです。厳密には、妄想という言葉がこんな風に使われるのが嫌いです。比較的新しい用法かと思うのですが、とても汚らしい言葉遣いだと思います。
元々は仏教用語であり、読みも「もうぞう」だそうですね。私の理解によると、「考えても仕方がないことを無駄に考えてしまうこと」といった感じです。(完全に専門外なんで、おかしなこと言ってたら教えてくださいねー。)たとえば「失敗したらどうしよう」とか「あんなこと言っちゃった。言わなかったことにしたい。」とか、そんなところでしょうか。
それが後に精神医学の用語に転用されました。病気の症状の名前になったわけです。被害妄想や恋愛妄想、誇大妄想などのことですね。注意していただきたいのが、妄想は誤解や偏見とは違います。強い信念で、たまたま事実とそれが異なった場合も妄想とは言いません。だって誤解や偏見や信念は薬じゃ改善しないもん。
しかし後になって、この妄想という言葉を比喩的に、そして自虐的なジョークとして使う人たちが現れ始めます。今で言う、俗っぽい一般表現としての“妄想”が生まれたわけです。私が覚えている限り、少なくとも25年くらい前にはいました。そのころは私も子どもだったのではっきりとわかりませんが、たぶんもっと前からそういう人はいたでしょう。
ちなみに伝え聞くところによると、元凶は筒井康隆氏の小説(デビュー作『48億の妄想』)らしいですが、未読でして、この説の真偽についてはよくわかりません。もっとも、彼は“ゲシュタルト崩壊”という言葉も本来の意味とは全然違う意味で使っていたという話を聞いたことがあります。意図的にそういう言葉遣いをしそうなイメージはありますね。病気の症状を自虐的でジョーク的に使うのは不謹慎です。不謹慎なことを理解した上でわざと言うのであれば本人の勝手ですが、その不謹慎さに気づかれずに世間で使われるようになるのはチトいただけません。
ただ、当時は、そんな使い方は正式な日本語として認められていませんでした。辞書にもそんな風には載っていませんでしたしね。
が、徐々に市民権を得るようになってきます。最初は自虐的なジョークのニュアンスだったのですが、それを次第に本気で使う人が現れ始めたのです。相手に対する侮蔑の言葉として。特に、日本におけるインターネット黎明期は本当にこの言葉がよく飛び交いました。今、たとえば2ちゃんねるの中の荒れ模様の場所を見て「ヒドい悪口合戦だ」と感じたり、あるいは、ヒドいことを書いているサイトをたまに見つけて「ネットって嫌なところだ」と感じる健全な精神の持ち主には想像がつかないかもしれませんが、当時はあんなもんじゃなかったです。実名を出し合って、ものすごい罵倒合戦をしていましたからね。表現のいやらしさ、ねちねち感も、当時はインテリ層が圧倒的だったからか、相当のものでした。私からすれば、妄想という汚い言葉遣いは、そんな汚い時代の象徴です。
今時は、それでもかなり悪意的な意味合いが和らいできましたけどね。たとえば、ごく普通の女の子が「やっぱり妄想はしちゃうよ」なんて言ったりもしますし。ただ、辞書に妄想の第3の意味が載るようになった現代でも、それがあまり綺麗な言葉遣いじゃないんだよってことは知っていてほしいなぁと、そんな風に思うのです。